10月最後の土日は、実家での神社は毎年秋祭りでいつも賑わっています。
子供のころは、お祭りの日は着物を着せてもらい、鈴のついた飾り帯を締めて頭には大きなリボンの頭飾りをのっけて、薄らとおしろいをぬって口には紅もつけてもらって神社に行ってました。
おすまししていたのは初めだけで、着物を着て走り回っていました。
両親がいたころは結婚してからも子供をつれてご馳走よばれに行っていたのも、子供の成長とともに何やらせわしくなり足が遠のいていました。
何がどう忙しくなったのではなくて、たぶん心に余裕がなかったのでしょうね。
今年は、コロナ渦でひっそりと行われていると聞くと行かずにはおれまいとばかりに行ってきました。
皮肉なものですね。
土曜日は「よごろ」で、夕方から陽が落ちると早速姉と里帰りしてました姪とお参りしてきました。
ところで、「よごろ」とはどうやら広島弁らしいです。京都の祇園祭でよく聞く「宵山」と同じ意味だと思います。
邇保姫神社の鳥居は、宮島と同じ形をしています。
2本の主柱に袖柱を立てて、主柱と袖柱を貫(ぬき)で繋いで計6本の足となっている形をしています。
平清盛が、厳島神社再建の時期と同じ頃考案された「両部鳥居」というそうです。
子供のころは、繋いである貫のところにまたがって遊んでいました。
狛犬の背中にさばってみたり、石段のへりには今は手摺りがありますが当時はなくて滑り台にして滑って降りてみたり、あの頃はなんとやりたい放題でしたね。
一夜あけてみると神社に上がってからの写真撮ってなかったです。
こんな時でも、皆さんにこにことされていて、とっても幸せになり気が付けば写真も撮らずに「よかった!よかった!」って満足して帰っていました。
お参りしましたら、秋祭りらしく稲穂をもらいました。
夏越し祭りには茅をいただき、今回は稲穂でした。
夏に頂いた茅で、私強い意志で貫くこと出来たんかしらと振り返りましたが少し怪しいですね。
今回は、
稲穂です。
「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」
謙虚に過ごしているかな、どこかおごりはないかしらと改めて己を振り返ってみました。
それでも、頂いた稲穂には「霊穀(ちから)」としおりが掛かっていました。
紅白の水引で結わえらていました。
「霊穀」とは、古事記から引用したそうです。
穀物に宿る精霊のことで、それを「ちから」として言葉で発するんですね。
なんて心強い、霊験あらたかな有り難い言葉です。
普段私達が何気なく話している日本語には「言霊」があります。
コロナ渦とはいえ、くじけるのは止めよい気を頂くように前向きな言葉を発するよう心がけないといけませんね。