広島県世羅郡世羅町甲山にあります「今高野山」に行ってきました。
紅葉がとても綺麗です。
今回の大河ドラマの鎌倉殿の13人で、第37回と第39回に評議しています備後の国大田の庄の地頭と高野山の年貢米の話しが出てきます。
まさに、今高野山のことを評議しています。
平清盛が安芸守となり、平氏の勢力が備後にも及ぶようになり、
1166年(永万2年)この地を所領していました清盛の息子平重衡から後白河法皇に寄進されます。
平重衡は、1180年源頼政を倒し南都東大寺・興福寺を焼いてしまいます。
重衡は源平合戦の一ノ谷の戦いで敗れ捕らえられて鎌倉に送られ、その後奈良に送られ木津川で斬首となっています。
1185年、壇ノ浦の戦いで平家は破れ、
1186年(文治2年)、後白河法皇の命により平家の霊を慰めるために大田の庄は高野山に寄進され、高野山の領地となりました。
平家の霊を慰めるとは、当時の人は祟りとかを酷く恐れました。
後白河法皇も然りです。
「今高野山」の「今」は新しいという意味です。