武田山、もう少し続きます。
前後しますけど、武田山登りました(その3)の続きです。
館跡を進みますと、「鶯の手水鉢」があります。
鶯の手水鉢(うぐいすのちょうずばち)
館跡のすぐそばの岩の上に、人工的なくぼみがあっていつも雨水がたまっています。
この水たまりが当時何のために使用されたかはわかりませんが、弓を射るとき、手を潤すために使用したものだとか、どんな日照りにもこの水は乾いたことがないとか、いろいろ言い伝えられています。
と、あります。
下からでは、くぼみは見えないので、岩をよじ登って見に行きました。
なんとも、ユニークな窪みです。
手水鉢に鶯が水飲みにきてたんでしょうか?
岩に登って手水鉢を見ながら、下を見下ろしていましてどこかお山の大将みたいに、えっへんと威張っていまして後ろを見ますと、
通り抜けの道があります。
不安定に、岩が乗っかっています。
ここを這うように潜ると館跡に繋がるんだろうかと思いつつ、ちょっと怖いなんて思ってしまって二の足を踏んでしまいました。
今思えば、抜けてみればよかったかしらね。
当時の人は、この道を抜けてここに来てたんですね。
何やら、重要なところに思えてきました。
怪しい人物をこの岩陰に隠れて待ち伏せたんですかね。
手水鉢の岩を降りて少し進みますと、縦に大きく割れた巨岩があります。
巨岩を過ぎると、
尾根の一部を下げられたところ(堀切)で、山の表から裏への連絡路として造られたと言われています「犬通し」まで辿り着きます。
犬通しの道標からすぐそばに、武者溜があります。
犬通しから登ってくる敵や間者をここて待ち伏せします。
もう少し大町方面歩くと見張り台があるとのことでしたけど、あまり行きすぎると思い引っ返して下山することにしました。
見張り台からの連絡で、武者溜りで待ち構え、さらに振り切ってきた敵を鶯の手水鉢にも潜んで、来た敵と応戦したのでしょうか。
なんて、緊迫したことでしょう。
厳しい時代ですね。
(わたし、勝手に想像しました。)