武田山山頂から別れを告げ下山することとします。
来た道ではなく、観音堂跡を目指しての下山です。
観音堂跡です。
県史跡銀山城跡
観音堂跡
ここは、城跡の中心から西南方向に少し離れた所に位置する郭群のひとつです。
観音堂が建っていたと伝えられるところからこう呼ばれていますが、本来は郭として城の搦手の防御の役目を担っていたものと思われます。
さらに、下りますと観音堂に付属した庭園か、休憩所兼見張所のあったところといわれていました上高間、下高間があります。
岩石が累々とそびえ立ち、下高間から上高間を眺めると素晴らしい景色とありますけど、木々が鬱蒼として私にはよく分からなかったです。
下りは、急な斜面に気をつけないと岩についた苔で足を取られそうになります。
10分余り下りますと馬場跡です。
馬場跡
昔から馬場と言い伝えられているところです。
今は小竹が生い茂っていますが、やや広くて平らな場所です。
これは馬を乗りならした馬場ではなく、馬置き場であったと想像されます。
と、あります。
念願叶って登りました武田山。
毎日見上げながら通勤しています。
今は、物言わぬ山ですけど、確かに山城として構えていた痕跡がありました。
建っていたであろう所には悲しいくらいに建物は朽ち果てていましたけど、堀切、岩、郭跡の平地、たとえ滅んでも山がある限り300年にも及ぶ長い年月を安芸の国の守護職として栄えた武田氏が残っています。
そして、今は、トレッキングを楽しむ人たちに愛されています。