武田山ふれあい樹林から、木馬道跡をとおります。
木馬道とは、きんばみち、きんまみち、きうまみち、とも読みます。
もくばどうと読んでしまいましたけど違っていました。
日本の林業においての木材搬出路のことをいいます。
おそらく、木馬道は近年明治以降の頃に敷かれた道ではないでしょうか?
中世の山城で木材を搬出してとか少し考えにくいです。
明治から昭和の第二次世界大戦までは日本の一次産業として林業は盛んでした。
そのなごりではないでしょうか。
さらに登っていきますと、馬返しまで〇〇メートルといった道標があります。
この道標を励みにして登ります。
「あ~しんど!(しんどい)」って呟きながら、
途中、さわに湧き水がかなりの勢いで流れて、手を添えると冷たく気持ちいいです。
武田山というのは、自然の中湧き水がでて山城にとってとっても重要な水の確保は充分だったのがうかがえます。
馬返しまで辿り着きました。
立て札には、
県指定銀山城跡
馬返し(うまかえし)
ここから先は城内への通路が馬を使えないくらい急に険しくなっているので、この郭を「馬返し」と呼んだと思われます。
またここは、城全体から見ると南東方面の端部に位置し大手道の防備の役目を担っていたものと思われます。
とあります。
食料や米とか物資をここまで馬で運んだのでしょうね。
ここまでは人の出入りがあり、なおさら防備を強化しないといけないところだったと思われます。
馬返しまできて、始めて眼下に広がる市内が見下ろせます。
私たちは、はぁ~と一休みと呑気に景色を見ていますけど、戦国の世、国を盗るか盗られるかのときは、それは真剣だったでしょうね。