広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

聖光寺、広島藩幕末の志士 高間省三「皇国の興廃は今日にあり」(二葉の里、歴史の散歩道)

聖光寺には、もう一人広島藩の武士で幕末の志士、高間壯士之碑と高間省三正忠之墓があります。 大石内蔵助親子のお墓にばかり注目を浴びていますけど、 この二葉の里を歩きましたのも、このお墓にお参りしたいとの思いもありました。 広島護国神社の筆頭祭神…

加賀のお姫様、広島藩主浅野光晟正室満姫の菩提寺國前寺(二葉の里、歴史の散歩道)

國前寺(本尊:釈迦如来)です。 広島駅新幹線口から15分も歩けば、國前寺にたどり着きます。 私は、今回は広島東照宮から尾長天満宮、そして國前寺に来ました。 石碑の詩にありますように、加賀の姫 自昌院とは、 加賀藩主前田利常のお姫様で、三代将軍家光…

広島特産、安芸津の馬鈴しょ。山の幸海の幸、志賀海神社思い出しました。

安芸津のじゃがいもです。 母の里が、広島県の安芸津で毎年、年2回送ってもらってます。 母が亡くなって20年たつというのに、しかも私は実家から嫁に出たにも関わらず送ってもらってます。 安芸津は、煉瓦工場があり私が子供の時分にはありましたが今ではど…

我が家の神様の使い。難が転じる紅白の南天の木です。

我が家の玄関の門柱にあります南天の木です。 今年は特に赤い実のついた南天はみごとです。 反対の門柱には、玄関に向かって右の門柱には白南天が自生してます。 どちらの南天も植えたわけでもなく、赤南天はお隣のお家(今は建て替えられて赤い南天はありま…

尾長天満宮、尾長山の麓に菅原道真が太宰府に下る際休息されました。(二葉の里、歴史の散歩道)

二葉の里にあります、学問の神様、尾長天満宮です。 菅原道真が太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられたそうです。 陸路ではなく、海路だったんですね。 醍醐天皇の治世の折、出世を続け右大…

東照宮御遺訓参道、登りつめました先には絶景が臨めます。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮参拝すませましたら、奥へ進みますと 金光稲荷神社があります。 奥宮まで行ってみようと思います。 御遺訓参道、東照公遺訓 「人の一生は重荷を負いて、遠き道をゆくが如し、急ぐべからず」 ゆっくり行きましょう。 5分ばかり登りますと 東照宮遺…

広島東照宮にあります「旌忠碑」、ここに明治の広島がありました。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮に明治の広島がありました。 西南戦争「旌忠碑(せいちゅうひ)」について この「旌忠碑(せいちゅうひ)」は、明治10(1877)年2月に明治新政府と西郷隆盛を首領とする鹿児島士族らとの間に生じた「西南戦争」で亡くなった広島鎮台兵の顕彰と慰霊の…

広島東照宮、城下町広島の総鎮守です。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮です。 城下町広島の総鎮守 御祭神 東照大権現(徳川家康) です。 頂いたパンフレットによりますと 徳川幕府3代将軍家光は、初代家康公を祀るため、全国有力諸大名の領地に東照宮建立を勧めたそうです。 浅野2代藩主光晟の生母振姫(ふりひめ)は家…

おぉぉ~!桜咲いてます。(二葉の里、歴史の散歩道)

12月8日、ぼちぼち散策中 これは? 桜ですよね。 ここは、広島駅近くの「光が丘山根公園」です。 もう一本と合計二本の桜の木が咲いてます。狂い咲きですか? 公園では少年達が野球に興じてます。 行き交う人たちも立ち止まる人もいません。 なんだかいいで…

鶴羽根神社、パワースポットだそうです。(二葉の里、歴史の散歩道)

明星院よりほんのわずか100mばかり進みますと、 鶴羽根神社にたどり着きます。 御祭神は 妹背二柱の神 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナミノミコト) 八幡三神 帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト) 品陀和氣命(ホンダワケノミコト) 息…

広島藩浅野宗家と忠臣蔵(二葉の里、歴史の散歩道)

今週の土曜日12月14日、赤穂浪士討入りの日ですね。 元禄14(1701)年、江戸城内の松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけ、刃傷沙汰を起こしてしまいます。赤穂藩主の浅野内匠頭は切腹、お家は断絶。 吉良上野介はおとがめなし。 元禄15年12月14日、家臣…

明星院、広島城からみますと鬼門にあたりますところにあります。藝州広島藩主祈願寺(二葉の里、歴史の散歩道)

饒津神社を出まして、隣接するように月光山明星院あります。 と言いましても、広島駅北口へ繋がる二葉通り(県道84号線なんですね)を車で走りますと奥まってわからないです。 もとは毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所で、南光月素月山妙壽寺(臨済宗)だったそう…

饒津神社、参道壮大な松並木、、、だったそうです。あの日までは(二葉の里、歴史散歩道)

饒津神社、創建時に黒松を植栽し参道は壮大な松並木だったそうです。 昭和20年8月6日、20数本ありました黒松、熱風、爆風によって損傷・倒木の被害を受けましたが、十数本の松は生き延びたそうです。 その後最後の一本となり、平成15年1月枯死に至ったと記し…

饒津神社クイズ、饒津神社なんと読む?(二葉の里、歴史散歩道)

牛田方面から、とぼとぼ歩いてみました。 饒津神社の社殿に沿って擁壁が設けてあり、壁に阻まれて歩道より見上げても社殿は見えません。 やがて参道が道路に平行して見えてきます。 右折して饒津ガード下をくぐりますと広島駅南口へ 神社に沿って左折します…

被爆樹木イチョウ、お寺の門の屋根突き抜けてます。被爆建物「安楽寺」(二葉の里、歴史の散歩道)

新牛田大橋から白島側の河川敷を東に進みますと神田橋が架かってます。 この神田橋は、車道橋と人道橋の二本架かっています。 神田橋の人道橋を渡りまして右に折れまして東にわずか一区画歩きますと安楽寺の案内板に遭遇します。 案内板にしたがって、北へと…