広島市安佐南区中筋にあります才ノ木神社です。
お正月3日、
空は、晴れ渡っていますけど、風は少し寒いです。
お正月に訪ねますのは初めてです。
いつもは、拝殿の扉は閉じてありますけど、開いて宮司さんもおられます。
お話しますと、
八幡さんで応神天皇が祀ってあります。
この辺りは、八幡さんが多いと言われます。
室町まで安芸武田氏が守護で治めていたからでしょうとのことです。
ここら一帯は武田氏の家臣福島氏が治めておられたとも言われました。
高陽町(広島市安佐北区口田)にあります弘住(こうずみ)神社の分社と教えてもらいました。
太田川を挟んで随分遠く感じます。
絵馬も、八幡さんらしく、
神功皇后に竹内宿禰です。
こちらは?
よくわからないのですけど、船が岩礁に座礁したのでしょうか?
武士が船上なのかとにかく大きな魚に襲われているように見えます。
武将の腕に足に魚の怪獣がかぶりついているようにみえます。
足元にはヌルヌルとタコが這いつくばっているようにも見えます。
何とも不思議な絵馬です。
こちらは、難を逃れたのでしょうか?
海の怪獣をやっつけたのでしょうか?
旭日に、魚の首をとり、タコを踏みつけ勇ましい侍が描かれているように思います。
一人一人の武将には名が記してありますけど、わかりにくく、唯一「加藤」と読める武将がいます。
兜の形と言い、加藤清正でしょうか?
神社の人に聞いてもわからないって言われます。
絵馬修復したくともお金がかかりますとも言われました。
私のお賽銭では到底間に合わないですね。
そして、唯一いつ書かれた絵馬かわかるのが、拝殿に対峙しましたこの絵馬です。
天保六 乙未(1835年)清月
とあります。
清月とは?
陰暦の8月のことみたいです。
芦毛の馬にまたがっておられるのはどちらの御仁でしょうか?
安芸武田氏当主の誰でしょう?その後ろについて参る侍は、この辺りを司っていました家臣の福島氏(福島大和守親長)でしょうか?
それとも、
時代が江戸時代ですから、浅野の殿様でしょうか?家臣は誰でしょうか?
清んだ満月を見に来られたのでしょうか?
絵馬には何も解釈もなく、私がみて勝手に思ったことです。
想像をかき立てられて、とてもおもしろいですね。