広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

神功皇后、「おお!鯉!鯉!」と大変喜ばれました。

旭山神社、石段およそ200段だそうです。

途中踊り場がありまた私きょろきょろしながら登りましたので意外にきつくはなかったです。

とは言え、途中少しはぁはぁと息が上がりました。

登りました先に拝殿があり、初めてのお参りなのにどこか懐かしさを感じました。

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 旭山神社の主祭神は、

神功皇后

応神天皇

市杵島姫命

田心姫命

湍津姫命

です。

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今回、旭山神社にお参りしましたのに、「こい」のいわれを確かめたくて来ました。

 

旭山神社の沿革によりますと

 

《地名「己斐(こい)」のいわれ》

 今から凡そ1800年前、西暦190~200年仲哀天皇の時、神功皇后が熊襲御征伐行の途上、その船団を率いて己斐の「御船着」に立ち寄られた。

絶佳園跡あたりから「松山」(後に旭山)に登られ

野立ちされた際県主(あがたぬし)が奉った黒鯉に感動され

「おお!鯉!鯉!」と大変喜ばれたので地名を「鯉」とした。

その後、和銅6年(713年)好字二字化令により「己斐」としたものであると申し伝えられてきた。 

 

《産土八幡宮の誕生》

 その後、神功皇后の太子応神天皇八幡太神と号し給いしとき、丁度神功皇后がこの松山に上らせ給うた由縁から村長より郡主へ此の山に宮柱を建てたいと願い出た。

郡主このいきさつを聞き大いに歓び、八幡宮を勧請し当初産土神と仰ぎ尊み奉ったと申し伝えられてきた。

 

とあります。

 

1800年前の様子が、今ではとても想像もできないくらいです。

広島市のデルタがすっぽり海でして神功皇后の船団が航行され、旭山神社がありますこの地に立ち寄られたと思うと何とも感慨深いです。

あの頃の景色見てみたいですね。潮の香りがして瀬戸内の穏やかな打ち寄せてくる波が聞こえてきそうですね。

広島市あたりは湾になってますので潮の流れもおそらく激しくなくて、九州へ向かうのに湾に入って航行してたんでしょうね。

 

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