麦田八幡神社におられるもう一体のお地蔵さま。
お助け地蔵尊です。
〈お助け地蔵尊の由来〉は、
伝説。
古来より当地には勢力のある一族が住まい、地域には民家が3~4家であったといわれています。
当時この地方周辺は海に面していたと言い伝えられています。
また、麦田山八幡神社裏路は各地への主要道路の分岐点にあたり、
東は備前、備中、備後路へ、
西は周防の國山口、津和野方面へ、
南は海上を利用し九州路へ、
北は出雲の國山陰路方面への分かれ道となり、行き交う人々が多かったいいわれています。
地に住む人々を始め、通行する人々には病気などで倒れる者も数多くあり、その難儀を救ってくださったお方が、当時の僧呂、善導法師、または、ご坊とも云っていたそうです。
後年その僧呂が亡くなられたとき、住民旁々により手厚く葬り、通行人のとおる山裾に地蔵尊として祭られ日夜灯火の絶え間はなかったといわれています。
また、人々の難儀を救うため枕元にお立ちになり、救いの導きを説かれた者数多くあります。
土地の人々はだれいうことなく、お助け地蔵尊と言い伝えられてきました。
と、あります。
未だに終息しないコロナ、
昨夜の日向灘沖の地震で広島も揺れました。
いつの世も不安が多いです。
善導法師がこの地域の人や旅の人を救ったように、
何かにすがりたい気持ちやご加護を受けたいというのは今も変わらないですね。
そして、この地域が交通の分岐点ということで人の往来が多かったとあります。
7世紀ころ古代山陽道は太宰府と都を結ぶ重要な道として、府中から大きく迂回して戸坂から大町、伴を通っていました。
西国街道として、古来からの山陽道を福島正則公が広島城下を通るようにし、
旧山陽道は、江戸時代には五畿七道として五街道に次ぐ脇街道として重要な街道として人々が往来していました。
また、福島正則は広島市堺町から西国街道とわかれ、雲石街道として祇園~古市~可部を通り出雲、石見へと繋がるルートを整備しました。
何れにしましても、分岐点として古市から大町は人々の往来の多いところです。
現代の山陽道といいますと、
山陽自動車道のことをさします。
この写真は、南北に国道183号線(旧国道54号線)が走り東西に祇園新道が走っています。中須、古市地区です。
広島インターへの案内看板が出ています。
山陽自動車道は、川内に広島インターがあり、武田山トンネルを抜けまして沼田伴を抜けていきます。
古代山陽道に近いルートをはしっています。
今回気が付いてとても面白いと思いました。
古代のルートに戻っていますね。