いつもは、休日に家にいる主人を尻目にぷらっと出かけます。
気ままに広島の街を歩いています。
先日、敬老の日9月21日(えっ?敬老の日は9月15日ではないの?毎年、こんなこと私言ってます。)に、お墓参りの車中で、
「空鞘神社、出雲大社への道標あるの知ってる?」
って主人に問いかけましたところ
主人は、元々旧町名の鷹匠町(現在は本川1~3丁目になってるそうです)で育ち、空鞘神社は少年だった主人の遊び場でした。
「そんなの知らんで、なかったで、、、絶対なかった。」
ということで、立ち寄りました。
「ほうら、あるじゃない」
「。。。。」主人納得いってません。
納得いってなくても、歴然とここにありました。
家に帰り、設置してありました案内板と先日広島城で頂いた資料をもう一度読み直しましたところ、
この道標は、もともと西国街道と雲石街道の分岐点の堺町にあり、道路拡張のためこの道標は戦後、現在の空鞘神社に移されたそうです。
主人に言いますと、
「ほうじゃろ。絶対なかった。あったら、上によじ登って遊んだはずだ。」
って、いいます。
よじ登って遊ぶ、、、まぁ!くすくすって笑ってしまいました。
当時の子供はやったかもしれないですね。
ただ、戦後のいつ頃なのか宮司さんに聞いて帰ればよかったですね。
昭和20年一発の原子爆弾で広島の街は灰と化しましたけど、それでもすべてを焼き払う事などできないです。
原爆によって赤く焼けた広島城の石垣も、見るたびに手のひらあてて元気をもらっています。
この道標も、城下町広島を物語るものの一つですね。
城南通りを西に進みますと本川にかかる空鞘橋を渡り南に進みますと空鞘神社あります。
空鞘神社をさらに南に進みますと相生橋が見えてきます。
相生橋から行ってもいいかもしれないですね。