麦田八幡神社の石段を上り鳥居を潜りますと二体のお地蔵様がおられます。
神社にお参りする中段におられます。
「縁結び地蔵尊」と「お助け地蔵尊」です。
少し不思議な空間です。
〈縁結び地蔵尊の由来〉
西暦1580年ころよりこの土地の人々尊敬され、親しまれてきたと言い伝えられています。
当時の善男善女は結婚式の当日、地域から選ばれた二人の若者が三三九度の盃の儀の最中、新郎新婦の前にこの地蔵尊を持ち運びました。
選ばれた若者は、手拭で顔を隠し、「おめでとうございます、末永く幸せになってください」と言って地蔵尊を据えて置きその式場を立退くという習慣がこの地方に受け伝えられ、
1950年ころまでとりおこなわれていました。
今では数多くの人々が参拝し、老いては長生きをさせていただいているお礼と、家庭円満、健康と幸せを祈り、若い善男善女は良い配偶者、良縁をお祈りをしています。
そのためか、当地の住民は、家庭円満で他の地方より離婚率も少なく、また、長寿も多いと言い伝えられています。
御参拝の皆様方、どうぞ良縁を感謝し、末永く幸せであるようお祈りください。
と書いてあります。
1580年ころから始まった風習とあります。
1541年、安芸武田氏は大内軍の毛利氏によって佐東銀山城は落城し、滅亡していきます。
世の中は戦乱に明け暮れた戦国時代です。
都では1581年本能寺の変が起きています。
そんな時代、
三三九度の盃のお祝いの席に手拭で顔を隠した選ばれた若者が地蔵尊を置いて立ち退くとはどういうことなのでしょう。
わざわざ顔を隠さないといけない何かの事情があったのでしょうか?
それとも、何かの暗黙の伝承なのでしょうか?
あ~、何でしょう。
この若者は、武田氏の残党の末裔なのかしら、
神社の拝殿は武田山に向かっています。
武田山界隈を散策していますと毛利の手に落ちたとは言え、鎌倉の時代から培ってきた武田氏の色が濃いいです。
何の根拠もないんですけど、
すごく想像力が沸いてきます。