いつもブログ読んでくれている友だちから、
「黒七味、赤穂浪士と繋がる七味屋さんなんだね。」
ってメールきました。
えっ、そうなの?
うどんおいしかった事ばかりで箱の中のしおり見てなかったです。
確かに、
元禄16年(1703年)赤穂義士四十七士の一人である原惣右衛門元辰の一子が剃髪して「了郭」と号し創業。
当時の漢方・名医山脇先生の処方による御香煎の製造を家業とした。
その後、黒七味を作り出し、いずれも秘伝の製法を守り続けている。
とありました。
そこで、
原惣右衛門をもう少し調べていましたら、
広島の「とうかさん」へと繋がっていきました。
「とうかさん」のホームページみますと、
「とうかさん」は忠臣蔵で有名な赤穂義士ゆかりのお寺でもあります。
日本精神の華と世界に知られている赤穂義士「原惣右衛門元辰」は、「とうかさん」を熱心に信仰しておられました。
元禄16年(1703年)2月4日惣右衛門切腹の後、安芸広島藩第5代藩主浅野吉長は妻子を広島に呼び寄せ、嫡男「原惣八郎辰正」は広島藩に召し抱えられることになりました。
惣右衛門の妻も熱心に「とうかさん」を信仰していたことから亨保18年(1733年)7月4日妻が亡くなると、惣八郎は両親の墓を当山に建立し供養されたのです。
その後、惣八郎をはじめ子孫の墓が当山に建立されることとなったのです。
しかし、
昭和20年原爆投下後、都市区画整理法により寺領を大幅に縮小した当山は、墓地を再建するにあたり一家に墓石一基と定め、原家も例に漏れず原惣右衛門ご夫妻の仏石を原家の墓と定め原家の子孫の方々が埋葬されています。
(「とうかさん」ホームページより抜粋しました。)
と記されていました。
元禄15年、原惣右衛門本懐を遂げ、翌年切腹の後、残された妻と子は、嫡男は母と共に広島藩に、「原了郭」を創業した原了郭は武士の子でありながら剃髪したんですね。
なんと厳しい時代ですね。
しかし、それぞれの道を歩まれそれぞれの地でそれぞれの立場で名を残されたんですね。
今年のとうかさん大祭コロナで中止でした。
さびしい夏の到来でした。
「とうかさん」は、広島市内中央通りを八丁堀から南へ平和大通りの手前にあります。
今度、広島市内中央へ出るとき「とうかさん」寄ってみようかしらね。
原惣右衛門、身近に感じることできますかね。