広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

とうかさん圓隆寺におられるお地蔵さまの「子まもり地蔵尊」です。

とうかさん圓隆寺の墓所に、「子まもり地蔵尊」がおられます。

竹屋・袋町小学校児童慰霊碑および三川町町民慰霊碑です。

中央通りを八丁堀から南下し、ほんの10分ばかり歩きますと三川町に着きます。

三川町の先はすぐ平和大通りです。

その三川町にとうかさん圓隆寺はあります。

 

昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾によって三川町は、一瞬にして焦土と化しました。

当時、小学校の疎開のできない低学年の児童は、本堂にて通って勉強していました。

原爆投下によって無常にも小さな命は本堂ともに散ってしまいました。

亡くなられた地元住民を供養するとともに、本堂とともに亡くなった児童、家族も亡くなり引き取り手のない子供たちの遺骨、さらに幼くして亡くなった全ての子供たちを供養するために、

お地蔵さまはおられるそうです。

 

8月6日の朝、原爆投下前、本堂に勉強のノートと教科書を広げて楽しそうに戯れている小学校低学年の子供たちが目に浮かんできますね。

数分後に起きるであろう惨禍なんて誰も想像してなかったでしょうね。