高松山、ゆっくりと登り始めておよそ1時間半、頂上に辿り着きました。
三角点です。
高松城跡です。
細長く広がっていて、りっぱな館が建っていたと想像できます。
縁を覗いて見ますと登山道以外はものすごい斜面で、とても強固ななかなか攻め落とせる山城ではないと思いました。
しかも、
南側は広島市内が一望でき、
西は、可部の町を
北は、南原(なばら)ダムがみえます。
ダムの上の三角の山は、可部冠山と教えてもらいました。
東は、細長い敷地を東へ行きますとみるここができます。
(写真を撮ってなかったです)
平成26年8月の豪雨の土砂災害で可部東と報じられたのが、この辺りだそうです。
頂上からは四方を見る事ができ、防御にとても適していると思います。
熊谷氏の高松城は説明板によりますと、
承久の変(1221年)で、討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められ、その子直時は安芸国三入荘の地頭に任じられ、武蔵熊谷郷からこの地に赴任した直時は荘内の防備を固めるため伊勢が坪城を築きました。
その後次第に勢力を増大させてきた熊谷氏は戦略的により優れた高松山に城を築き本拠としました。
この高松城は、熊谷氏が天正19年(1591年)毛利輝元の広島城入城に従って広島へ移るまで熊谷氏の本城としての役割を果たしましたとあります。
伊勢が坪城は、高松山より北の根の谷川上流で広島市安佐北区大林の山城です。