邇保姫神社の鳥居を潜り石段を上りますと、
被爆建物の手水舎があります。
爆心地から3.6キロです。
今は、この手水舎のみが残っていますが、
原爆直後は、拝殿も本殿も残り、被災された人の救護所となりました。
一瞬で地獄と化した広島市から市民は北へ西へ東へ南へ避難しました。
広島の町を歩きますと随所にそういった記述を見ることができます。
当時を想像しますと、広島市民の強さを感じますね。
邇保姫神社は、
かつては、本殿、拝殿とこの手水舎が被爆建物として市に登録されていました。
平成19年(2007)、不審火により本殿と拝殿は全焼しました。
当時、手水舎へ必死で水をかけ延焼を防いだそうです。
平成22年(2010)新しく拝殿は完成され、
100段ありました石段も今は64段となりました。
100段の頃は、あと10段くらいになるとくたくたになって四つん這いに這うようにあがったものです。
うっかり振り返るとあまりの高さにめまいがしました。
この度、屋根を葺き替えられて、とてもりっぱになった手水舎でよみがえっています。
柱には、
「みんなで護ろう 手水舎(被爆建物)」
とあります。