安芸武田氏ゆかりの地、武田山麓にあります眞幡神社、
武田氏の終焉とともに、毛利に徳川時代に数奇な運命をたどりました。
幟などに社紋として毛利の「一文字に三つ星」を用いるのも仕方のないことです。
と、納得してましたところ、
眞幡社の縁起が掲げてありました掲示の板に対面するように、
馬にまたがった侍大将の絵馬がかかっています。
昭和四十六年十月仲秋、奉納とあります。
兜には花菱の紋が入り、胸には大きく武田菱の割菱があり、着物の模様にも馬にかけてあります鞍の下の布にも割菱が描かれ、
武将の鎧姿の籠手、すね当には、花菱が美しく配置してあります。
馬の轡(くつわ)のところの装飾にも花菱があります。
馬はそれを知ってか知らずかなんと勇ましい面構えの頼もしい顔をしています。
その馬にまたがって、右手の采配を大きく前に振りかざし左手でしっかりと手綱を握り「いざ付いて参れ!出陣!」とでも言っているのでしょうか、
とても厳つい顔をした侍大将、太刀には獣の毛で装飾された拵えがより一層強さを感じます。
この方は、誰なんでしょう。
新羅三郎?
それでも、
昭和の時代、
毛利ではなく大内ではなく16世紀に討ち滅ぼされたはずの武田氏の侍大将の絵馬が掲げられています。
地元の人々には思いが今からおよそ480年という時代を過ぎても、武田氏がこの地に脈々と受け継がれ誇りなのでしょうね。
絵馬を前にして、ひどく納得し、足軽やかに里山から下りることが出来ました。