広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

「才ノ木神社」を訪ねてをみました。やってきた源氏の武士に守られてきました。

広島市安佐南区中筋にあります「才ノ木神社」です。

安佐南区民センターと祇園新道の間に昔からあります道路に面してあります。

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 昨日紹介しました川津桜はこの神社に植えてあります。

 

sobanikutama.hatenablog.jp

 

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神社にはってありましたものを読みますと、

少し、私なりにまとめてみましたところ、

 

もとの名は「八幡さん」と呼ばれていていました。

12世紀に平家が滅び関東から源氏の武士がやってきて祀ったため、西国に特に「八幡宮」が多いと記されています。

この地に源氏の有力な武将であった「武田氏」が総大将としたやって来ました。

この神社の

御祭神は、品陀和気命(ホンダワケノミコト)で応神天皇です。

昔から地方の武士たちの信仰が厚く、特にこの村にいた福島大和守は此処を自分の祈願所としてとても大切に扱ったそうです。

福島氏は武田氏の代理を勤めた程の家でしたけど、大和守が養子に来た頃は戦国時代真っ只中で既に武田氏は滅んでいました。

大和守はそんな中お家の繁栄をこの神様に願ったとのことです。

 

 才ノ木神社と社名が改められたのは明治の初めで、

この神社が小字才ノ木にあったからだそうです。

「才ノ木」とは「塞の木」(塞の神のことでしょうね)で、古い時代に村人の暮らしを守って下さった神様に繋がります。

お宮のすぐそばの土手を越す細い道が村境へ行く道で源氏が来る前からずっと昔からこのあたりに神様がいてくださったことをこの地名が物語っています

と書かれています。