広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

勧喜寺への小径に残っています江戸時代の石灯篭です。

勧喜寺へ行く小径の向こうに石灯篭があります。

大年神社の鳥居のあります石段を下りて帰り道の反対側にあります。

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弘化三丙午年三月吉祥日

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弘化は、江戸時代で、

西暦でいいますと1845年から1847年です。

丙午年は1846年をさします。

丙午(ひのえうま)には多くの迷信があります。

この年には出生率も下がるとも言われています。

また、

丙とは、「火の兄」という意味があり、

午は、方角からいいますと南をさし、正南の火で、

古く中国では火災の多い年と丙午(へいご)を凶歳と言われていたそうです。

江戸時代、

その年に、常夜灯を建て人々の道案内の火を灯したんですね。

 

この日は、来た道を帰ったんですけど、

そんまま道を抜けていってみればよかったのにと後から思いました。

どこへ繋がっているのでしょう。

車社会になってどんどん開発され街は広がり新しい道路が出来ていますけど、

今は忘れ去られたように軽自動車すら通ることが出来そうにないこの小径、道路は舗装されていたとはいえ、

江戸時代には人々が往来していたのでしょうね。

 

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