1221年、承久の乱の功績によって鎌倉幕府からの恩賞として安芸国佐東群を得た武田氏当主武田信光は武田山麓に守護所を建てました。
1274年、文永の役
1281年、弘安の役による元寇にそなえ佐東銀山城を築城するも、
1299年、桜尾城主平員家の銀山城攻めで佐東銀山城は落城します。
勧喜寺と大年神社のありますここは、当時出城で兵糧米を保管していました米庫を焼却し落城のきっかけを作りました。
鎌倉時代末期に安芸国に下向した武田家当主武田信宗は武田山山頂に佐東銀山城を築城します。
鳥居を潜りますと、神社と寺院が隣接しています。
明治に神仏分離令が施行されて以来、無理矢理にですけど神社とお寺はどこかよそよそしく感じますのに、
もともと神仏習合で昔はこんな感じだったと思われます。
この日は、私以外に3人ほど来られていてそのうちの親子連れの方は、岩に暫く腰掛けておられました。
もう一人の方は、私と一緒で迷いながら来ましたと、言われていました。
大年神社は、拝殿はなく本殿だけ残っています。
お正月らしく、鏡餅がお供えされています。
塵一つ落ちていないとても大切にされています。
祠のすぐ横には、石碑があります。
武田氏の墓碑でしょうか?