広島市西区草津の草津八幡宮です。
お宮の宮司さんとお話できまして、御由緒が綴ってあります冊子を頂きました。
駐車場より潜りました鳥居でお宮に着きましたけど、
仕切り直しと言いましょうか正面の鳥居から2~3段石段降りまして拝殿にお参りしました。
宮司さんのお話がとっても面白くて、お家に帰りましてもう一度冊子を読み直しますと、
草津八幡宮の御由緒は、
厳島神社の創建より1年後の推古天皇御宇2年(594)宗像三女神の一柱、「多紀理姫命」を祀ったのが創祀と伝わっています。
最初は湾奥の海辺に祀られていましたが、八幡神が主祭神になると共に、少しずつ山に上っていったそうです。
神仏習合の時代、神社の山号を「力箭山(りきやさん)」と称して云っていたそうです。
中腹にあります神社の正面参道は189段の石段になっています。
近世では、189(ひやく)段で「避厄(ひやく)の石段」とか「飛躍(ひやく)の石段」とか云われているそうです。
次に参拝に来るときは、ひやくの石段上ってこないといけないですね。
もう一度、来ないといけないですね。
とても、眺めがよくて、
瀬戸内を囲んでいます山々を登りますと色々な角度で市内や瀬戸内海に浮かぶ島々が楽しめます。
正面に見えます三角の山は、安芸の小富士こと似の島でしょうか。
草津の呼称は、
神功皇后が三韓征伐の際、沖合の草津港で湾になっていて軍船の船揃えをし、軍港だったそうです。
力箭山では弓箭の訓練を行っていたそうです(力箭山の由来)。
「軍津浦(くさつうら)」と呼ばれていたそうです。
又、一説には、宇佐の神を祀った津「宇佐津」が訛って草津となって伝わっています。
草津港は今でしたら海軍の基地みたいなものですかね。
海上自衛隊かしらね。
わたしの子供の頃は、埋め立てが進んでいなくて宮島街道沿いに魚市場があって、
魚の匂い臭くて、
くさいつで「くさつ」なんて言ってました。。。笑
宮司さんも、そうそう!と
今思えば、神功皇后になんて失礼ななんて思ってしまいました。
草津港は、三韓征伐の時にも軍港として、
更に、毛利元就が厳島合戦の時も、宮島の正面の地御前で敵を引きつけておいて草津港から包ヶ浦に上陸したのではと近年では言われているそうです。
明治に入り、宇品港、呉港が軍港として役目が移っていきます。
そして、現在は、呉海上自衛隊があり、呉海上保安庁が海の治安を守っています。