広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

空鞘稲生神社の末社、「幸神社」です。

広島市中区本川町の空鞘稲生神社の境内にあります「幸神社(こうじんじゃ)」です。

御祭神は、猿田彦大神です。

御由緒は、天文年間(1532年頃)の創建で「彦山明神」と称していましたが明治4年「幸神社」と改称したとあります。

 

天文年間は、広島城が天正17年(1589年)毛利輝元により築城される以前で、

広島湾頭は、武田氏と大内氏の勢力争いが激しい頃です。

彦山明神は、武田氏方の国人領主が創建したのでしょうか。

それとも大内氏方でしょうか。

安芸武田氏は、天文10年(1541年)、毛利元就によって銀山城が落城して滅亡しました。

誰が、どんな思いで開運(みちひらき)の神様、猿田彦大神を祀ったのでしょうか。

因みに、

その頃の広島湾は、白神社辺りからは海です。