可部バイパスから国道191号線へ入りずっと坂道を上って行きますと福王寺団地入口の信号を右折し仮設駐車場に車を止めます。
住宅街で友だちと待ち合わせて、住宅街を抜けますと彼女の道案内で進みますと、
福王寺観音坂参道案内の看板があります。
17丁、観音坂参道です。
参道に入り5分も経たないところに、武田菱の入った御堂が目に止ります。
慈母観音堂です。
観音堂の隣には、「原爆犠牲者の碑」があります。
昭和二十年八月六日八時十五分
原爆投下の際落下傘の落ちた地点
武田元繁後裔十四世 安光覚遊建之
と、碑には刻まれています。
武田元繁は、戦国時代の安芸武田氏当主の武将です。
とても智勇に優れた武将でした。
この原爆の碑について広島市亀山公民館のサイトによりますと、
広島に原爆を投下した米軍爆撃機B29には2機が随伴し、1機は写真撮影、1機は爆発による振動や温度などを測定する装置をパラシュートで落す役割をもっていたといわれていました。
4個落した測定装置のうち3個のパラシュートが開いて、亀山4丁目の報恩寺近くに落ちたそうです。
このパラシュートは、測定し米軍に報告し、米軍は原爆の威力をまとめて、、、
あぁ~!
まるで、理科の実験室です。
その原爆の下での広島市民のうめき声など聞く耳ももたず数字は刻まれ報告されていったのですね。