広島の街歩いてましたら、折々軍施設跡地に出会います。
施設があったことは分かるのですが、何かが分からないのです。
そこで、大本営までしかれたことは伝えられてます。
でも、多くの人が出入りしてた息吹が聞こえてこないのです。
明治にはいり、廃藩置県が敷かれ士族の反乱が起きたことは知ってましたが、
それらと広島とが結びつくとは思ったことなかったです。
広島東照宮にありました、西南戦争で犠牲になった広島鎮台兵の慰霊碑がありました。
広島城にあります歩兵第11連帯略歴に、明治9年萩の乱、明治10年西南戦争に出動とあります。
おそらく明治新政府は威信をかけてでも、士族の反乱は鎮めなくてはいけなかったと思われます。
その後軍備は拡張され広島も軍都として発展していったと思われます。
私、今までそのこと目をそらしてた気がします。
でも、私の父も祖父も、主人のお父さんもみんなその中生き生きと暮らしてました。
生きているときに父にもう少し聞いておけばよかったって思ってます。
母は、昭和25年安全な田舎から、原爆投下された広島市に嫁いできました。何を思って来たのですかね。母も亡くなってますので今となっては聞くこともできませんね。
もう少し広島歩いてみますね。某答えがでますかね。