鯉城通り歩いてましたら、中区袋町に被爆建物「旧日本銀行広島支店」があります。
隣のビルも写して対比させればよかったですね。日銀の建物写すことばかり意識してしまいました。
この鯉城通、国道54号です。毎日の車の往来激しくて、ラッシュ時には渋滞が激しいです。
この通り挟んでビル群が、連ねてます。
旧日銀跡より北側にあります本通りの広島銀行本店建設現場です。超高層ビルになるそうです。
そんな中でも、この旧日銀広島支店なんら引け目を感じられないです。威風堂々と地に足をつけて建ってます。
あなたの歩んできた歴史には誰もかないませんものね。
日本銀行広島支店(爆心地から約380メートル)
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原子爆弾の強烈な爆風により、外形は残ったものの内部は破壊され、42人の犠牲者が出ました。
市内の金融機関はほとんど壊滅したため、日本銀行の内部を仕切り、各銀行が窓口を設け、8月8日から業務を開始しました。
(南西方向から望む日本銀行広島支店 1945年11月 川本俊雄氏撮影)
とボードには記されてます。
爆心地からこんなにも近くでこの保存状態、すごい建築技術です。
地下の金庫室の金庫の扉には驚かされます。当時ここにいれば助かったのにって思いました。あっという間の出来事で人間の判断などなんの意味ももたなかったのでしょう。
それでも驚かされたことは、私たちからみたら、壊滅状態の広島で多くの死傷者出して都市としてなんの機能もなしていないと思われますのに、二日後には各銀行の窓口がここで開設されたことです。
ここ旧日本銀行跡は今は記念館としてオープンになってます。
その中に被爆後すぐに鉄道の線路の復旧に取り掛かってるのが紹介してあります。
路面電車も三日後に廃墟になった広島市内を走った話は有名です。
当時の人はすごかったですね。自分のことより自分に課せられた使命を粛々と行ってます。
その上、どこまでも前向きです。
私たちの先人達はすごいです。