常夜燈側から、安神社写しました。
なぜ?この辺りを京都と同じ祇園を名乗ってるのかしら?
なぜ?この神社をおぎおんさんっていうのかしら?
私たちは敬ったりすると、親しみを込めて何々さんって呼びます。
例えば清盛さんとか、
広島だけですかね?他の地域でもそうですか?
祇園に丁寧におをつけておぎおんさんってだけで、いかにこの地域の人に敬われて親しまれてたかわかりますね。
写真を見ると車馬止ってあります。
お奉行様でもお侍さんでもそこからは降りて、一の鳥居を潜ってお歩きになってお参りされたんですかね。
御由緒をみると、その昔安芸国の鎮護の神として国司より厚く敬われたとあります。
武田氏、毛利氏、福島氏、浅野氏からも大切にされたとあります。
京都の祇園の末社としてここに存在したのはわかりましたが、誰が何故?どのようにして?かがわからないです。
13世紀に厳島の桜尾城主に攻められて、神宝や記録が全て焼き落とされたとあります。
桜尾城主はなんの為に襲撃したのでしょうか?
領土を奪ったとも書いてません。
その頃は誰が治めてたんでしょうか?
謎だらけです。
一切の記録を消さなくてはいけないほどのことだったんでしょうか?
もう一回史料つくることはできなかったんでしょうか?
わかってることは、承久の乱の後鎌倉幕府側の武田氏が治めてます。
それで今でも武田山って言ってます。
。。。
ちょっとモヤモヤします。
とはいえ、わからないのでこのことはちょっと置いとくことにします。
明治2年に郷社となり安神社となったと書いてありますね。
私は、安神社は、おぎおんさんとも言います。って言ってました。
なぁーんだ!
安神社と言い出したのはたった150年前からでした。
今度からおぎおんさんで今は安神社です。って言おうと思いました。
この祇園地区にはずっと昔から欠かせない存在だったのだけはわかりました。