現在国道54号線である祇園新道ができるまで、祇園新道の西側を走ってる幹線が国道54号線で新道って言ってました。
その新道に対してさらに西側の祇園地区の古い家並みの並んだおそらくそちらがもともとの雲石街道だと思いますが、旧道と言ってました。
今回、西原地区と祇園地区つまり現在の国道183号線と県道277号線の間の安川緑道を歩いてみました。
元来ならば武田山に沿って安川が流れてたのですが、現在はもう少し上流で一級河川である安川は工事によってまた同じく一級河川である古川と中須という所で合流させてそこから下流のもともとの安川は廃川となってます。
廃川といっても安川緑道の下は暗渠となって流れてます。
散歩は南方向に向かいましたが、反対へ足を運ぶとJR古市橋駅があります。
かつて川が流れてたのがわかる地名ですね。
時代の変遷とともに、主要幹線が祇園地区から西原地区へそして
現在は祇園新道へ移り新交通システムのアストラムラインが走ってます。
その国道54号線の起点は広島市中区市役所交差点で終点は島根県松江市相生町交差点です。
山陽と山陰を結ぶ重要な幹線です。
陸と川をうまく利用して人、物を運んでたんですね。
江戸時代、秋に収穫したお米は広島へ運ばれて石高に応じて瀬戸内海から幕府に納められてたのかしらね。
それとか大阪へ京で流行ってるもの買い付けてたのかしら
ちょっと想像を膨らませてしまいました。
まさに海と陸と川とで経済が動いてんですね。
縦の線と横の線とで、広島に集められてます。
車でさぁーと通り過ぎるとなんとも思わないのにちょっと歩いてこんなこと考えました。
広島城北?ここが?
広島城から見たら北といえば北ですが
裏へ回ると広島市中区中央公園より移されたとありました。
理由はともあれ、広島城北の謎が解けました。