爆心地から1.75㎞に位置します多聞院、
福島正則、毛利輝元が築城しました広島城に入城し、
東南に位置しますこの地に、
源流太田川から流れ別れました京橋川がこの小高い丘を浄めるが如く流れていましたこの地に、
慶長9年(1604年)多聞院を移してきました。
後白河法皇勅作の多聞院の毘沙門天王は、福島正則が城下町の礎を築きましてからずっと広島の成長を見守り続け、341年後の1945年(昭和20年)雲ひとつ無い晴天の朝に、突如として現れた地面を天空を破壊させる巨大な悪魔を見ることとなりました。
木造の本堂、庫裡は焼失こそは免れたものの全壊、
唯一鐘楼と十三塔は爆風にも耐え残りました。
鐘楼は昭和9年建立されたばかりで、鐘は昭和18年戦況厳しくなり供出されていました。
爆心地に一番近い木造建物として永久保存することに平成10年5月に認定されました。
鐘は、昭和24年8月6日、最鋳、開眼供養が行われました。
鐘には、漢詩七言絶句をえがき、梵字の光明真言が書かれ、
大師の智慧と慈悲のお姿が描かれ、上空に現れた観音像が描かれています。
そして、NO MORE HIROSHIMA’Sと英文で書かれています。
今でも毎日、朝夕6時と8時15分に鐘がつかれています。