広島平和資料館では、令和4年度第1回企画展
「爆心直下の町ー細工町・猿楽町」が、
2022年(令和4年)9月16日~2023年(令和5年)2月13日催されています
会場に置いてありました冊子になったパンフレット頂いて帰りました。
あの一瞬の以前の町があの一瞬から変わり果てた町が展示してました。
子供たちの笑い顔がとても痛々しいです。
一つの家族が、一瞬に消えた町です。
猿楽町、細工町は、今は使われていない地名です。
爆心直下の町です。
元安川の東側で、
広島産業奨励館(原爆ドーム)や島病院の上空600mで炸裂しましたあたりからをいいます。
現在の相生通りや鯉城通りを挟んだ地域を指します。
復元戸別地図を見ますと、猿楽町の北側に広島護国神社の鳥居があり、鳥居を挟むように西練兵場があります。
(この鳥居は原爆が真上過ぎて倒壊しませんでした。現在広島城の東側の裏御門に設置してあります)
現在の旧市民球場があった場所だと思います。
帰り道、
島病院の前には、プレートが設置してありました。
ちょうど、外国の方が見ておられて写真に収めることができなかったです。
電車通りには、広島の新名所の折り鶴タワーが建っています。
折り鶴タワーに登りますと、島病院を見る事が出来ます。
猿楽町を細工町をそして、広島平和公園になっています中島町、北側には広島城が、それぞれの今を見る事が出来ます。
天気のいい日には、宮島まで見えます。
とても爽やかな風が吹きます。
平和な空気を思いっきり吸える今を感謝しないといけないですね。
猿楽町、日本の伝統芸能の能のことを猿楽と言います。
昔は、能役者さんが住んで居たのでしょうか?
細工町、細工職人がたくさんおられたのでしょうか?
昔が偲ばれる地名ですね。