広島城内には、原爆で倒壊した大本営跡跡の基礎部分が残っています。
説明板を読みますと
広島大本営跡
明治27年(1894年)に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所(あんざいしょ)とされ、ここに大本営が設けられた。
明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。
その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は貴礎石のみ残されている。
とあります。
子供の頃から広島に大本営がしかれていたんだからとか一時首都だったとか大人の人によく聞かされていました。
当時は、よくわからなくてへ~くらいしか思ってなかったんです。
それから、広島が首都だなんてってクスッと笑っていました。
当時の大人の人たち、それで広島原爆で狙われたかなぁって言ってました。
よく考えると明治の頃の話しでそれは違うって後々ですけど、わたし、思いましたね。
今でも、広島城歩いていましたら、若い恋人で男の人が彼女に、「広島は大本営がしかれていて一時首都だったんだよ」って説明している光景目にします。
彼女の方はかつての私みたいに「へ~」って言っています。
正確に説明すると、首都機能を果たして明治27年10月に第7回帝国議会は広島臨時仮議事堂で開催されています。
子供の頃そんな~嘘みたいな話しと思っていましたけど、確かに一時首都として機能していました。
ところで、
明治天皇の行在所はどんなだったんでしょう。
以前、呉市にあります入船山記念館の旧呉鎮守府司令長官官舎を訪ねてそれは素晴らしい建物で装飾でした。
広島城内の大本営は明治天皇の行在所ですので、それ以上のものだったでしょうね。
明治天皇のお部屋拝見したかったですね。
当時の写真とか設計図とかは残っていないのでしょうかね。
実際の物を再現するのは無理でも、
ミニチュアでも再現は出来ないんですかね。
それとも、どこかにあるんですかね。