呉鎮守府開庁130周年です。
入船山記念館訪ねてきました。
入船山記念館は、飛鳥時代の大宝3(703)年に呉浦の総氏神である亀山神社の鎮座地と定められたといわれているところに建ってます。
明治22(1889)年7月、呉鎮守府が開庁しました。
明治25(1892)年から呉鎮守府司令長官官舎としてこの地に利用されました。
パンフレットには、「呉の歴史の森へ。」とあります。
呉の歴史の森の精に会えますかね。
広島市探索は私一人でぷらぷら歩いてますが、今日は娘が呉に嫁いでますので孫に会いに行く途中主人誘って行きました。最初は私に合わせてましたが、結構主人楽しそうでした。
旧呉鎮守府司令長官官舎 洋館部です。
旧呉鎮守府司令長官官舎 和館部です。
解説シートにあります立面図、平面図です。
和洋併設型住宅で、洋館部は公的に和館部は私的な利用と分けられていました。
洋館とはいえ日本の建築技術を駆使して建てられてる感じしました。和館は庭に面して縁側があり各和室から庭がのぞめ、公務を終え和服に着替えられて庭をのぞんでおられる司令長官(私の勝手なイメージです)、どの部屋にいつもおられてたんですかね。
どうも私貧乏性なんですかね、離れ座敷が落ち着きますね。
主人縁側のある家が好きみたいで、我が家に縁側あればなぁって今さらにしみじみとつぶやいてました。
昭和20(1945)年、敗戦とともに日本は連合国の占領下におかれ、呉鎮守府司令長官官舎は、連合国軍の司令官舎とされました。
土足でどかどか入られたんですかね(これも、私の勝手なイメージです)。
昭和31(1956)年日本に返還されました。
「明治三十八年呉鎮守府工事竣工報告」に基づき、平成3(1991)年から5カ年計画修復されてます。
建築当時の資料が残っていてよかったです。
アニメ映画「この世界の片隅で」でも描かれてますように、呉は戦時中かなりの空襲にあってますけど、ここは?無事だったんですかね。
歴史の森の精もかもしれないですけど、私思いますのに亀山神社の八幡さんが守ってくれたんでしょうね。
どこか落ち着くのは、飛鳥時代から鎮座されてた八幡さんだった気がします。
孫の七五三に移りました亀山神社お参り行きましたけどまた改めてお参りさせてもらおうって誓いました。