紙屋町から鯉城通りを南下してきますと白神さん(白神社のこと、白神さんっていいます。そういえば先日のブログちょっとかっこつけて白神社って言ってましたね)と平和大通りの交差点にきます。
いつから平和大通りって言うようになったんかしら、小さいときから「100メートル道路」って言ってたんですけどね。
「日本の道100選」に選ばれてます。
「平和の道」らしいです。
「ひろしまドリミネーション2019」の準備してました。
戦争中に、空襲などによる火災の延焼を防ぐ為に道幅100メートルの道路が作られていました。
しかし、原爆の威力には延焼どころかなんの意味もなされなかったってことですよね。
平和大通り、東へ鶴見橋の方角に足を進めていくと、廣島第一縣女の追悼の碑があります。
原爆犠牲者 追悼の碑 廣島第一縣女
広島県立広島高等女学校は1901(明治34)年に設立を認可され、1902(明治35)年旧下中町のこの地に開校しました。1941(昭和16)年広島県立第一高等女学校(略称広島第一県女)と改称されました。現在は広島県立皆実高等学校です。
1945(昭和20)年8月6日の原爆投下によって爆心地から600mの地にあった校舎は倒壊焼失し301名(教職員20名、学徒動員で建物疎開作業に従事していた1年生223名を含む生徒281名)の尊い命が犠牲となりました。
被爆10年の1955(昭和30)年に御霊を慰めるため「広島第一県女原爆犠牲者追悼之碑」が旧職員・遺族・同窓生によって建立されました。この碑には県女の校章と哀悼歌の一部が刻まれています。石柱は被爆した門柱の内の1本です。ハート型の千羽鶴掛けは県女の校章を基にしています。
御霊に哀悼の意を捧げ、悠久の平和を祈ります。
被爆70年にあたり改修再整備、2015(平成27)年8月
広島県立皆実高等学校
同窓会 皆実有朋会
とあります。
私の姉は皆実高校出身で、私が中学生の折三つ違いの姉は夏休み8月6日追悼式にお手伝いに行ってきますと、行ってました。
その頃の私はへぇ~!?
ぐらいのことで、なにも考えてなかったですね。
改めて読み直すと悲しくなりますね。15から16才の乙女達ですよね。
校章、よく見ますと、
着物の伝統的な図柄の雪輪(ゆきわ)の中にハートがあり、二匹の蛍が支えてますね。
文字もなだらかさを感じ乙女チックで当時の女学生の朗らかな笑い声が聞こえてきそうですね。
この地で、5月にはフラワーフェスティバルが催されます。
そして、今月、2019年11月15日から2020年1月3日まで、平和大通り「ひろしまドリミネーション2019」が開催されます。