広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

旧相生橋、原爆直下にも耐えて35年間、車、電車、私たち歩行者を渡らせてくれました。そして今でも新相生橋重要な橋です。

広島には、多くの橋があります。その中でも忘れてはいけない橋の一つに「相生橋(あいおいばし)」があります。

紙屋町交差点を電車通りに沿って原爆ドームのすぐ先にありますT字型の橋です。

原爆投下の目標点とされた橋です。

今では観光バスがこのTの字をひっきりなしに曲がり平和公園へたくさんの人たちを案内してます。

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相生橋を渡り、Tの字を曲がり橋を渡りきり平和公園側にひっそりと旧相生橋の親柱が設置してありました。

昭和58年11月の相生橋の完成を記念してここに昭和59年3月に設置したそうです。

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元安川を挟んで原爆ドームの対岸にあります。よく頑張ったね、ここでゆっくりしてくださいね。

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銅板に当時の相生橋が掲示してありました。まさにこの親柱ですね。

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 相生橋は原子爆弾で瞬間推定一平方メートル当たり7屯の爆圧を受けましたが、修理して約35年使用されてきました。旧相生橋は、戦後当たり前のように車、電車、時には歩いて私たちを渡らせてくれてました。

上空からみたら、単に目標になった特異な形したTの字の橋でも、下で生きているものから見たら、元安川と本川に挟まれた中の島で旧中島町(平和公園)の人たちにとって生活道路だったんです。

今も、新相生橋は広島の生活道路として私たちを、また世界中から多くの人たちを渡らせてくれています。

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