広島不動院に行くには、アストラムラインで不動院にて下車しますとすぐです。
電車降りますとアストラムラインの駅から太田川を挟んで武田山が望めます。
安芸武田氏の居城跡、銀山城(かなやまじょう)です。
広島不動院で調べると必ず、安国寺恵瓊さんがでてきます。
安国寺恵瓊のあまりにも数奇な人生にどこからどうみたら良いのかわからなくなります。
以前、義理の兄から戸坂(へさか)に戸坂城があって、安国寺恵瓊は武田氏のお妾さんとの間に生まれた子て、そのお妾さんは戸坂氏の人だと衝撃的な話を聞きました。(この場合、お妾さん=側室と解釈していいんですかね)
これは史実かどうかは定かではないのですが、
でも、銀山城落城のとき、武田氏の家臣であった戸坂入道道海が幼少の恵瓊さんを救い出して、戸坂城に近い安国寺に逃がしてるところを見るとなんだか、一人で納得してしまいました。
どんな風にして、どんな思いして、この太田川渡ったんでしょう。
暗闇の中、身を隠すように逃げたんでしょうね。
胸に迫るもの感じました。
不動院より太田川をもう少し上流に行くと今でも戸坂って地名の町が残ってます。
毛利の勢いは凄まじかったでしょうね。
戸坂に千足(せんぞく)ってところがありますが、毛利軍が千足のわらじに火をつけてこの太田川に流したそうです。
銀山城からみたら、まさに大軍が押しよせてるように見えたでしょうね。地名の由来はそこからきてるそうです。
勢いというものは止められないです。
そんな中、戦火をくぐり抜けるように、逃げたんですかね。
不動院駅を降りて、もう一度武田山臨んで見ました。
今は祇園新道が出来て道路が一段嵩上げされてますが、当時は安国寺から目の当たりにに眺められたと思います。どんな思いで武田山眺めながら幼少期を過ごしたんですかね。
安国寺恵瓊は武田菱の紋をつけていたそうです。甲斐の国から武田氏が承久の乱の後、ここ武田山に居城として銀山城を築いてます。
あくまで武田の誇りは捨てなかったんですね。
小学生の頃遠足で武田山に登ったことがあります。大きな岩がありそれに沿ってさらに進むと視界が広がった記憶があります。
水晶がとれるってみんなで探した記憶もあります。今は取れないって話です。
子供の頃ですから多少間違ってるかもしれないですね。
今思えば、あの創りはお城ですね。もう一度登りたいですね。だけど、健脚に少々自信がないです。