昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時の聖火ランナーが国道183号線(当時は国道54号線)を走ってる写真見まして、
田と畑で何もなく
でも、娘と
「ここはどこらへん?向こうに見えるのは武田山だよね。」
今のゆめタウン祇園店より少し南側と分かりました。
この時まさに開発が始まろうとしてます。
どんなに街が様変わりしても、武田山だけは変わらないです(当たり前ですね)
銀山城(かなやまじょう)とも言います。
でも、現在同じ位置で写真写しても建物で裾野まで見える武田山は見ることできませんね。
56年前の写真ですが、まだ田園風景が残ってて、
安芸武田氏が毛利軍に滅ぼされたとき武田信義の子としてまだ4~5歳だった幼名竹若丸ことのちの安国寺恵瓊は戸坂入道に救い出されて武田山とは太田川を挟んだ川向こうの安国寺に逃れます。
昭和39年ころの写真見てましたら、身を隠して逃げてる姿が少しばかり想像できそうです。
アストラムラインの不動院前駅の駅舎から写した現在の武田山です。
どうも、武田山をしみじみみますと、なんか無念さこみ上げてきます。
安国寺恵瓊は武田菱の紋をつけて戦ってます。
安国寺恵瓊のあんな最期はないだろうって、ずっと納得いってません。