名勝縮景園には、
八丁堀から白島通りを通っています広電白島線の市内電車に乗車し 縮景園前の電停で下車しますと訪れることができます。
広島県立美術館に隣接してあります。
広島駅からでも広島城からでも八丁堀からでも徒歩でも行けます。
今回は、紙屋町から立町を通って歩いてみました。(3月13日)
縮景園は、元和5年(1619年)初代広島藩主浅野長晟(あさのながあきら)が広島城入城しました翌年(1620年)から別邸の庭として築庭され、昨年でちょうど築庭400年を迎えました。
案内板によりますと、
作庭者は家老で茶人として知られる上田宗箇(うえだそうこ)です。
それ以降改修が重ねられ、7代藩主浅野重晟(あさのしげあきら)が天明3年(1783年)から同8年かけて京都の庭師清水七郎右衛門を招いて着手した大改修により現在に残る景観、地割になっています。
庭園の特徴は、広大な池を中心に造形された地泉回遊式の大名庭園です。
中国の景勝地である杭州市の「西湖の堤」を模倣したと言われ ています。
池に架けられています跨虹橋(ここうきょう)を挟んで大小14個の島が浮かんでいます。
長寿を祈願するための鶴と亀をかたどっています。
昭和20年(1945年)8月6日、広島に投下された原子爆弾で爆心地からわずか約1.22~1.46㎞のこの庭園も無残な姿となりました。
多くの被災者は治療も受けることも出来ずに息絶えたそうです。
遺体は埋葬されたそうです。
今は、
戦後、見事に復活しています。
とても、美しい庭園に蘇っています。