最上稲荷の帰り、備中高松より東へ迂回して、
第七代考霊天皇の皇子、大吉備津彦命が吉備の国に下られ、蛮行を重ねていました温羅(うら)一族を平定したと伝えられています
三備一宮、吉備津神社に立ち寄って帰りました。
(三備とは、備前、備中、備後の三つをあわせて三備といいます)
私たちが幼い頃、また子供たちに読み聞かせた「桃太郎の鬼退治」の話しのルーツと言われています。
駐車場に車を置いた瞬間、何やら圧倒される物を感じます。
参道を上りまして、
北随神門を潜り、拝殿にお詣りしまして、
本殿に回りますと、
それはそれは、見事な!
思わず立ちすくんでしまいます。
本殿、拝殿は国宝に指定されています。
頂いた栞によりますと、
社殿の造営は、社伝によれば、仁徳天皇が五社の社殿と七十二の末社を建立したことから始まります。
度々の焼失しましたが、
明徳元年(1390年)後光厳天皇の勅命により、室町幕府三代将軍足利義満が再興に着手し、応永32年(1425年)12月29日に現在の社殿が落成しました。
その建築様式は「比翼入母屋造」といい、全国でもここだけで
「吉備津造」というそうです。
随分昔ですけど、母と二人で行ったことあります。
この時も、今回と同じで最上稲荷が目的で、タクシーの運転手さんに案内されて立ち寄りました。
父がいない女二人小旅行です。
ほぼ、行き当たりばったりの珍旅行です。
私も、今と違って随分若いときで独身のときです。
吉備津神社に行ったという記憶はあるのですけど、あまり覚えていないです。
何だか、あの時のリベンジみたいです。
それにしましても、前回と同じで、
ちょっと、帰り道にと立ち寄るところではないですね。
これは、心して行き直さないといけないですね。