最上稲荷の帰り、備中高松より東へ迂回して、 第七代考霊天皇の皇子、大吉備津彦命が吉備の国に下られ、蛮行を重ねていました温羅(うら)一族を平定したと伝えられています 三備一宮、吉備津神社に立ち寄って帰りました。 (三備とは、備前、備中、備後の三つ…
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