広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

安芸武田氏ゆかりの神社、河内神社訪ねました。

先日行きました安芸武田氏ゆかりの神社「河内(こうち)神社」です。

武田山とカガラ山との谷間にありました猿田彦大神の道祖神、武田氏を偲ぶ歌碑から、祇園地区へと下山していますと、

一筋向こうに神社への石段が見えます。

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この日すでに万歩計で8000歩くらい歩いていますのに、石段を見上げますとこの先にあります神殿へと引き込まれるように、

なんでしょう足が軽やかにすら思えてきます。

中段の鳥居を潜りますと、

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四角い顔をしたなんて愛くるしい狛犬が出迎えてくれます。

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さらに石段を上りますと

祇園地区から広島市内が一望できます。

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河内神社です。

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由来記によりますと、

傳記に曰く、抑々此の河内神社は往昔、佐東郡銀山に武田氏在城の当時、その麓なる河内谷という所に鎮座ましまして武田氏の崇敬浅からさりしか天文10年毛利氏と戦い落城せらるるや以後祭費の出つりところ無く、

従って社殿も自然に頽廃せり。

(中略)

神社の勧請年紀詳かならすと難も、永正元年武田太郎佐衛門元繁安芸国の守護となり、其の後裔光和の時までの守護神たりしこと傳記によりて明らかなり。

以降は里民産土神として祭り社殿数度の改築を経過し本年又氏子諸士の協議に由り社殿を再築せんとす。

今歳初夏の吉日工を起し晩秋事成し竟するか故、諸々畏み畏みて由緒を謹書す。

 

とあります。

明治42年11月1日に書かれたものです。

現代語と違ってなかなか難しいですけど、

この年、社殿を改築し再築されたことがわかります。

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近年では、平成14年に屋根瓦の修復が施されています。

 

武田山麓、山本地区から祇園地区そして大町地区まできましたけど、安芸武田氏ゆかりの神社まだまだ一部でしょうけど、

武田氏破れて衰退したとしても、武田の名までは廃れることなく地元の人に脈々と愛されていますのが伝わってきます。

 

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