広島市安佐南区祇園、県道277号線とJR可部線の間に住宅街の中に、安藝津彦神社があります。
御祭神は、安芸津彦神、安芸津姫神です。
御由緒書きには、
昔は青原に鎮座し給い本祭神は阿岐国造饒速玉の御祖先であり厳島神社の兼帯七社の一つであって
明治5年(1872年)社号を安芸津彦神社と改名されるまでは管弊社といって、
(青原とは、現在の広島市安佐南区祇園4丁目あたりをさします。現在の安芸津彦神社は祇園2丁目にあります。)
当国厳島神社の2月11日の初申の神事の祭祀に紙布等の幣布を当社に於て清祓し厳島神社へ仕出し又旧幣を当社に納める慣例ありこれにより「官幣社と称す」と古書に述べてある。
依って官幣社と命名したのであろう。
このように幣帛を仕出したため厳島神社柵守職より領米の内年々1石5斗の配分を受けたことにより厳島神社と密接な関係があった。
と、書かれています。
広島市安佐南区の火山の「神武天皇烽火伝説」で神武天皇を安芸津彦命が案内し、
神武天皇が火山で烽火をあげられた後山を下りられて安佐南区山本から府中の埃宮に船で向かわれたという伝説があります。
それで、安芸津彦神社は、
神武天皇の何かしら痕跡はと訪ねましたけど、神武天皇のことは全く触れられてなくて、違うのかどうだかよくわからなかったです。
もう少し、近辺を歩いてみようと思いました。