国道183号線より、西側に古川に平行して疎水が流れています。
古川はやがて広島市の主流であります太田川へと流れていきます。
その疎水のことを八木用水といい、広島市安佐南区東部の八木(やぎ)から長束(ながつか)の間をおよそ16.3kmに及びます。
この地域は、もともと農業用水に乏しく稲作に適さなく、そば、粟、大豆などの雑穀に頼って生活していました。
江戸時代中期の18世紀の1768年に、広島藩の許可を得て大工の桑原卯之助が太田川の水を引き入れる用水路の掘削を行いました農業用水路です。
私、この地域に引っ越してきましておよそ30年近くなりますが、
その頃はまだ水田もありましたが今は住宅やマンションが建ち並び国道沿いは店舗が並び田畑はあまり見かけなくなりましたせいか枝分かれした我が家の前の小さな水路はほとんど枯れています。
子供達は小学校で八木用水を習ってきました。
私はと言いますと、もともと広島市南区でして明治の千田貞暁の宇品港は習い物語まで覚えていますが、
八木用水の話しは、こちらに来て子供に教えてもらった次第です。
引っ越してきた頃は水路は石垣で組んであり、棒きれに糸をくくりつけその糸にいりこ(煮干し)をつけて、石垣の隙間に垂らしまして子供とザリガニ穫りに挑戦したことあります。
今はコンクリートが打たれて整備されまして水はさらさらと流れていますがザリガニはいなくなりました。
当時は大雨が降ると水位が上がり道路まで水があふれていました。
ご近所の長老の方が、「水路のふた(堰と言われたかも)が止められて」とか言われて、
「そうですか?」とか理解できないまま適当に返事していました。
ちゃんと、どういうことですか?って聞いておけばよかったです。
もっと、八木用水の仕組みがわかったでしょうにね。
広島市の都市計画のことよく分からないのですが、毎年あふれる雨水対策で整備されたんでしょうか?