猿猴橋行きますと水道橋の説明文があります。
以下、書き写しますね。
ー猿猴橋水道橋(爆心地からの距離1,810m)ー
猿猴橋水道橋は、牛田浄水場から宇品港へ水道水を送るため、明治30年(1897年)7月に完成し、明治31年(1898年)8月から主要配水管として使用されました。昭和20年(1945年)8月6日の原子爆弾の爆風にも耐えて、焼け野原となった市内に水を送り届けました。また、戦後も大型台風で市内に被害が出るなか、大きな被害を受けず、その役割を果たし、不断水を守り続けてきました。
100年以上にわたり活躍した水道橋ですが、平成19年(2007年)に老朽化のためその役割を終え、被爆建造物として歴史を後生に伝えるため、その一部をモニュメントとして広島市水道資料館に保存しています。
広 島 市
そういえば、いつの間にかこの水道橋なくなってました。
子供の頃から普通に当たり前に見てましたこの水道橋。
全国的に猛暑で各地断水とか報道された年も、広島で水不足の経験がないです。
太田川が大きいからだねなんて思ってました。なんて知識不足というか、認識不足甚だしかったです。
戦前に架けられた橋といい、ここでまた明治からの偉業を垣間見ることができました。
原子爆弾に耐えてくれたことで被災者の方々に水道水を供給されたことがどんなに重要なことかです。
小学校の社会見学で牛田浄水場に行ったことよく覚えてます。
猿猴橋から猿猴川をもう少し下流に行きますと今は平和橋と称されて段原地区とマツダスタジアムへつなぐ橋は、以前は国鉄の宇品線の鉄橋で、たしかそれに隣接して水道橋があった記憶があります。
因みに、宇品港というのは広島港のことです。
童謡の「みなと」はこの宇品港のことを歌った、日本唱歌です。