早稲田神社境内に、弥生時代の古墳があります。
石積みを登りますと
広島県史蹟 彌生時代古墳跡と刻まれた石碑と四角い石棺跡のようなものがあります。
掲示板によりますと、
昭和32年9月、早稲田神社の再建工事中に発見された墳墓です。
表土の下1.5mのところから小貝塚が出土し、その下層から、当時の広島付近では最初の円筒形の墳墓がみつかり、座った状態で葬られたと推定される弥生時代中期末の成人男性の人骨が発見されました。
弥生時代には、体を伸ばして葬る方法が一般的と考えられているので、県内でも珍しく特異なものだそうです。
早稲田神社には参道の石段を上って鳥居を潜ってきましたけど、脇に車での参拝できます車道があります。
その道を縄文通りというそうです。
縄文通りにさらに詳しく掲示してありました。
それによりますと、
境内にありました墳墓は、
昭和32年9月3日、発見された貝塚は、貝塚底部より中国、四国、近畿地方で当時としては最初の弥生時代の土拡式墳墓(座位屈葬)が発掘されました。
発掘されました人間のあごの骨は、成人男子である事が判りました。
墓の中及び貝塚からは、土器破片、やじり、たたき石等が発見されています。
更に、翌年の昭和33年3月、造成工事中に7,8千年前の縄文早期の遺跡がみつかり多数の土器破片、石やじり等の石器が発掘されました。
また、石器類は太田川の源流付近で採石されたものが使われていることから、太田川上流と交流があった物と思われます。
最も古い時期から住んでいた広島人故郷の地でもあり、牛田の歴史の始まりの場所でもあるので「縄文通り」と道路愛称を名付けたと書いてあります。
縄文時代、太田川の源流、加計辺りでしょうか?その辺りからの往来があったなんて躍動感あふれていて縄文人素敵です。
そして更に、
安芸国の守護、銀山城主武田元繁によって、1511年早稲田神社が建てられ牛田地域一円の氏神様として祀られている。
と締めくくられています。
この地に武勇の神様、八幡様を建て地元の氏神様として祀られていたからこそ、遺跡も残ったんかしらって思ってしまいました。