広島かきです。
実家でもらって帰りました。
プルンとしてとても綺麗な牡蠣です。
広島の牡蠣は、
縄文時代や弥生時代の貝塚から牡蠣の殻がでています。
広島は平野が少なくすぐ山が迫っています。
今でも広島湾は山からのミネラルが豊富です。
ましてや、
今よりも平野がなくもっとすぐ山が迫っています。
牡蠣を始め岩に打ち寄せる潮からの恵みは当時の人たちの活力になっていたことでしょうね。
岩や石についている天然の牡蠣やツブ貝等を食べていたと思われます。
想像しただけで生唾が出てきます。
広島市のデルタは、江戸時代に埋め立てが進みほぼ今の形になっています。
それまではほとんど海で、
弥生時代には、安芸大橋あたりまで海だったそうです。
ずっと天然の牡蠣を食べていましたが、室町時代の天文年間に牡蠣の養殖が始まりました。
天文年間とは、1532年から1555年の頃で、400年以上も前のことです。
初めは、干潟に小石を並べて牡蠣を付着させるといったものだったそうです。
瀬戸内海に浮かぶ牡蠣筏は、今は当たり前のように瀬戸の景観の一つになっていますけど、
この牡蠣筏は、
昭和に入って開発されたもので、孟宗竹で組んであります。
筏式垂下法といいます。
その前は、杭打垂下法といって、干潟に棚を作ってぶら下げていました。
子供の頃、仁保沖で見たような、
なんとなくですけど覚えています。