広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

この小さな丘は、神武天皇聖蹟地、舟山城址です。

広島市安佐北区可部の船山稲荷神社があります丘を登りますと、

石碑があります。

大きな石碑には、「皇紀二千六百年紀念」と

そして、小さい石碑には、「可部荘 舟山城址」と彫られています。

昭和15年9月吉日、皇紀2600年紀念の式典のお祝いに設置されたものです。

石碑には、

 

此丘神武帝御東征之砌撃於船

鎮橅人民祭神新國家安泰清淨之地

而後山中佐渡守成祐改修社

尓來荒廃幾星霜

於茲今也當

迎皇紀二千六百年

復興社以使蒼生養宗敬之念

 

と彫られています。

 

此の丘に神武天皇か舟をつけられ、

人々をいたわり鎮めて国家の安泰清浄の地としました。

その後山中佐渡守成祐が社を修め改めました。

しかし長い月日に荒廃し今にいたる。

皇紀2600年を迎えるに当たり

宗敬の念が養われ多くの人々によって社が復興しました。

 

と書いてあると私なりに読みました。

 

小さい石碑に舟山城址とありますのは、

石碑にあります山中佐渡守成祐のお城跡です。

安芸武田氏の家臣で1529年熊谷氏に攻められて落城しています。

船山稲荷神社の社のこの地は二の丸で堀が切ってあったのかしら、どうやら一旦降りてその奥に本丸があるみたいです。

落城してからの荒廃したもようです。

およそ400年の月日からもう一度石碑を建て整備して神武天皇即位2600年をお祝いされたのでしょうね。

今年は皇紀2685年、また忘れられている感じです。

時代はうつろい2700年には昭和15年の気運は起きそうにないかもしれないですね。

丘が少しずつ雨風で浸食していると聞きました。

将来はこの丘すら、かつては…

ということになるかもしれないですね。