平敦盛の妻のお墓をお参りましたら、
少し離れた所に鳥居がみえます。
八幡宮と神額には記されています。
鳥居を潜りますと、緩やかな上り坂の参道を進みますと、
山門があり、
石段を上り詰めますと、
社殿が見えてきます。
手水舎の手前のは、神楽殿があります。
ここは、
春田八幡神社です。
春田と書いて「しゅんだ」と読みます。
庄原市春田と表示されますこの地区はしゅんだと読むことが、わかりました。
この地の領主春田三位森宿祢(しゅんださんみもりのすくね)は池田宮の第3子の子孫にして代々伊予国の道前道後の領主であった。
和銅六年(713年)備後の国三上郡(みかみごおり)の領主となり、道後の松崎で得た串身玉を持ち帰り重宝となす。
その孫の宮永郷の時に、その玉が夜々光を放った故新宮を造り玉を納めて高良玉垂(たからたまたれ)八幡宮と称し奉った。
天長二年(825年)春の事と伝える。
その後、貞治三年(1364年)春に火災により焼失す。
時の祭主宮永甚右衛門屋政が山城国(京都府八幡市)の男山八幡宮(石清水八幡宮)より御玉串を請け、応安元年(1368年)春に宮殿を造営奉還し玉垂八幡宮を改め男山八幡宮と称す。
と、御由緒書きに記されています。
筑後国の一宮であります高良(こうら)大社は、八幡大神、高良玉垂命、住吉大神が奉られています。
私、一度は訪ねてみたい神社の一つです。
先日から、高良大社のこと検索していましたので、
広島の中国山地の中の庄原で、
読み方こそ違えども、
高良玉垂命にお会いできるとは思っていませんでした。
敦盛の妻玉織姫のお墓を訪ねて参りましたのが、まるで誘われたかのように迷いもせずすんなり来れたのも何て言いましょうか、
玉織姫が呼んでくださったような不思議な気持ちです。
すごく、
心地良い時を過ごせました。