広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

宮島、名所「金鳥居(かなとうい)の辻」

宮島の五重塔があります「塔の岡」から町屋通り方向に下りますと、

道祖神社、通称幸神社(さいのかみ)があります。

f:id:sobanikutama:20220113094354j:plain

夕方なので、祠の中に灯りが灯されています。

f:id:sobanikutama:20220113092845j:plain

厳島神社の末社で、御祭神は猿田彦神です。

神社の前の道は、東町から厳島神社に参拝する道筋だったので、この辺りは島内でも屈指の賑わいを見せていたそうです。

 

町屋通り、夕方のこの時間(夕方の5時半)に通るのは初めてで

f:id:sobanikutama:20220113093004j:plain

玄関の照明が灯されとてもいいです。

f:id:sobanikutama:20220114105156j:plain

 

f:id:sobanikutama:20220113093032j:plain

と思いふと立て看板をみますと、

f:id:sobanikutama:20220113093115j:plain

この辺りを、

名所「金鳥居(かなとうい)の辻(つじ)」といいます。

ここ塔の岡の下を云う。幸町(さいわいまち)附近を総称せる地名ともなれり。

長寛年中(1163年~1165年)建立と云ふ、金(かねへんに歳)鳥居一基高さ五丈(約15m)

鉄にて廻八尺(約2.4m)余、神前より三町(約327m)余

御王前と云うふ所にあり、則ち鉄(かな)鳥居の町とも云ふなり。

往昔辻君(つじぎみ)の住み居たる處(ところ)、明治初年までは柱のみ幾分か遺(のこ)れり。

また一説に足利尊氏の建つる所にして、未だ功を竣(あ)えずして去りぬと伝えらる。

何れか其の證(あかし)を得ず。

鉄鳥居に参れば護王御社(幸神社)左の方にあり此の下の町を護(午)王のまへ町とも云ふ。

猿田彦大神を祀り奉りて道祖神とも申すなり。

伊勢の地主神(じすいしん)であり、交通の安全、邪霊を祓う導きの神金精(こんせい)様にして縁結び、子宝にも霊験ありとされる。

 

とあります。

なかなか表現が昔の言い回しで難しいです。

かねへんに歳の文字がどうしても変換できなかったです。

 

辻君の居たる處、

あらっ、今では全く見る事の無い光景ですね。

(辻君とは、夜鷹のことをいいます)

幸神社にお参りする親子連れもいて、

挿絵、一つ一つ解説は控えますけど、面白いですね。