広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

「武田氏ゆかりの史跡」尾首日吉神社に行ってきました。

JR可部線の古市橋より南側の踏切を越えまして、武田山目指して進みますと、

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すでに、参道になるのでしょうか、だんだんと道幅も狭くなり、緩やかに山道になっていると思っていましたら、

神社目前に坂道も急な勾配となり、乗って自転車をこぐことはとても難しく、押して登りました。

腕を縮めて身体いっぱい使って自転車を押しあげて、息も絶え絶えに登りました。

 

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 尾首日吉神社です。

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 村社、尾首日吉神社の由緒は、

正応2年(1289年)安芸の守護武田信宗が銀山城を築城するとき、江州(現在の滋賀県)坂本の日吉神社を勧請し、山麓の龍原山(たつはらやま)に武田氏一門の守護神としてお祭りしたのが始まりです。

祭神には、「大山咋神(おおやまくいのかみ)」「大己貴神(おおなむちのかみ)」を祭り、相殿に「猿田彦神」「宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)」が祭られています。

銀山城落城後は、衰微の一途をたどったがその後、里人は社を現在地に移し、この里の氏神として祭りました。

 

とあります。

 

 聞き慣れない言葉で、「村社」とは、

旧制度の社格の一つだそうです。市町村から奉幣を受けたということだそうです。

 

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 神社から、町並みを見下ろすととても壮観です。